【すずめの戸締り】新海誠監督最新作映画の感想・考察!!【ネタバレあり】

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こんにちは!!今回は新海誠最新作の映画【すずめの戸締り】について自分なりの感想と考察を話していきたいと思います。

この記事は【すずめの戸締り】のネタバレが含まれますので映画を見てからこの記事を見ていただきたいです。

ざっくりしたあらすじ

この映画では主人公の「岩戸鈴芽」が後ろ戸を閉める仕事「閉じ師」をしている男性「宗像草太」と共に全国各地の後ろ戸を閉めていく話です。

後ろ戸の中には「常世」(死者の世界)があり「ミミズ」と呼ばれる意思もなく暴れ回り地震を引き起こす怪物が住んでいます。

それが後ろ戸から出てこないように鍵をかける仕事をしているのが「閉じ師」です。

旅について

要石として「ミミズ」を封印していたダイジン鈴芽が引き抜いてしまいます。

役目を辞めたダイジン草太を椅子の中に封じ込めてしまいます。その呪いを解除するために鈴芽草太ダイジンの後を追い、日本横断の旅に出ます。

ダイジンの後を追う中で様々な出会いをし、その土地の思い出、そこに住む人々の思いなどを見て成長していきます。

さらに旅で出会う人々も鈴芽を見て昔の思い出などを思い出します。
愛媛で出会った海部千果は通っていた中学での思い出を。神戸で出会った二ノ宮ルミは子供の頃に家出していたことを。さんは鈴芽を拾った時のことを。鈴芽自身は3.11が起こった時のことを。

皆んなの忘れていた昔の思い出を取り戻していく旅ともいえます。

また九州から始まり、愛媛、神戸と旅は続きますがこれは南海トラフ地震が起きた時に被害を受ける地域と思われます。

ダイジン・サダイジンについて

鈴芽が振り回される猫「ダイジン」。見た目は小柄で大きな目をした全身白い猫ちゃんで、元は西の要石として封印されていたが鈴芽が引き抜いたことにより復活しました。それと対をなす東の要石が「サダイジン」。見た目は大柄で全身黒い猫ちゃん。

要石は神様としての役割になります。猫は神様として祀られることも多く、新海誠監督が猫好きなのもあり見た目が猫になった?また鈴芽たちが旅した先(愛媛の旅館と神戸のスナック)で客が急増しているので招き猫としてのご利益があったと思われます。白い招き猫はお金とお客を招き黒い招き猫は厄除け、魔除けの効果があると信じられています。

「ダイジン」は鈴芽に「うちの子になる?」と聞かれたので要石の役目を放棄し、草太にその役目を押し付けます。その後は鈴芽を後ろ戸の場所に誘導していました。なので「ミミズ」から日本を守ろうとする気持ちはありました。ただ草太は邪魔なものと思ってただけで。

ですが草太が要石として封印されたのちに鈴芽に拒絶されてしまいます。ダイジンが「うちの子になる?って言ってくれたじゃん!」と言っても鈴芽は「そんなの知らない」と言ってしまいます。

自分のことを好きだと思ってた鈴芽から拒絶されダイジンは萎んでしまいます。このシーンを見てこの子は純粋に鈴芽好きな人と生きていこうと思ってたんだなと悲しい気持ちになってしまいました。

でも最後は鈴芽に褒めてもらい元気になってくれて本当に良かったです。2回目に映画を見た時はダイジンの気持ちをかなり考えながら見ることができました。

サダイジンは物語終盤からの登場ですがインパクトのある登場の仕方でしたね。環さんの本心を後押ししてるように。サダイジン鈴芽を帰らせないためにさんと鈴芽を仲違いさせるつもりだったのかな?環さんと鈴芽が分かりあうために必要なシーンでしたね。

また草太の祖父である宗像羊郎と面識があったことから3.11でミミズが暴れた時にサダイジンを突き刺したのが羊郎なのでは無いでしょうか?ではダイジンを刺したのは?これは憶測の域を出ませんが草太の両親でその際に失敗して亡くなってしまったのでは無いかと思いました。またダイジンが草太の親を見たことがあるのなら顔が似ていて、また要石にされると思い邪魔だと思ったのかもしれません。

鈴芽と環さん

岩戸環さんは鈴芽の叔母で3.11によって鈴芽の母親椿芽さんが亡くなり引き取ることを決意しました。

かなり過保護気味で鈴芽自身も少し困るほどでしたが、互いに相手に気を遣ってる状態だったと思います。

さんは姉の子供であり母親を失った悲しみを知った鈴芽を大切に育てたい想いがあり、鈴芽は自分を育てることでさん自身の大切な時間を奪ってしまったという想いを持っていました。

旅に出てしまった鈴芽の後を追って東京でようやく再開することができました。娘が急に家を出て行ったら心配で仕方ないと思います。

その後は芹澤の車で東北への旅に渋々付き合う形になりますが、パーキングエリアで目的を言わない鈴芽に環さんも怒ってしまいます。それに鈴芽も逆上してしまいます。

さんの心の中の扉に閉まっていた本心が口から出てしまいます。「しんどい」「私の時間を返して」「引き取らなきゃ良かった」本来のさんなら口に出さないような言葉が出てしまう。まるで後ろ戸から出てくる「ミミズ」のようにさんの心の中の扉から

その言葉にショックを受けた鈴芽「でもうちの子になりなって・・・」、環さんは「そんなの覚えちょらん」と言ってしまいます。

これを聞いた時に気づいた方は多いと思いますが「ダイジンと鈴芽」「鈴芽と環さん」で対比構造になっていますね。

互いの想いが分からない、何を考えているのか分からない、それでもこの出来事があったから自転車で家に向かってる時に鈴芽さんは本心で気持ちよく話すことができて互いを信頼することができたと思います。さんが「好きな人のところに行くんでしょ」と言い鈴芽が「好きな人のところに行ってくる」と、今までではできなかった会話だと思います。もしかしたらさんも過去に同じようなことがあったのかも?

また鈴芽はダイジンの気持ちを知る機会にもなり、ダイジンが後ろ戸に今まで導いてくれてたことに気づけました。

芹澤朋也について

草太の友達であり同じ学校に通う大学生。声優は神木隆之介さん!!君の名はの瀧くんより声あってる気がしました!!

東京から東北に鈴芽さん、ダイジンサダイジンを送る重大な役割を担ってました。

さらにとても重い空気である車内でも「闇深ぇ」と軽口だけで気にしていないので物語を暗い空気にさせすぎないような立ち位置にもなっています。

芹澤については他にも重大な役割があったと思います。映画を1度見ただけでは違和感だけだったのですが他の登場人物と何かが違う。これは芹澤だけ忘れていない人物だからです。

これまでの登場人物は全員何かを忘れていて思い出すという表現をされていましたが、芹澤だけはその描写はありません。

さんに合わせてか懐かしいメロディを流したり、草太の家業を覚えていたり、草太に借りている2万円、車でタバコを吸ったらさんが少し嫌そうだったから最後の会話のシーンでは吸わなかったり。

芹澤だけは当事者ではなく第3者の目線で物語に参加しているように感じます。

福島に立ち寄った時も芹澤は「ここってこんなに綺麗なんだなぁ」と発言し、鈴芽が驚いています。
芹澤は3.11の被災地であることは覚えているでしょうが鈴芽芹澤での見え方、考え方の違いがわかります。

すずめの成長

まず「岩戸鈴芽」の名前を初めて聞いた時に思ったことは「岩戸隠れ」の話です。

太陽神である「天照大神」が天岩戸の中に隠れてしまったため、世の中は真っ暗になり悪い神が溢れ、悪いことが世界で起きてしまいます。それを救ったのが「アメノウズメノミコト」という神で踊りの上手い彼女を中心に宴を開くと「天照大神」は何事かと気になって天岩戸から出てきてくれると言う話です。

新海誠監督はこの話から名前をつけたのでは無いでしょうか。彼女が3.11から閉じ込めていた自分の思いを解き放って周りを光で照らしてくれる存在であるという意味を込めて。

先にも述べましたが鈴芽はこの物語で様々な出会いをして成長していきます。

鈴芽は「死ぬことなんて怖くない、死ぬことはその時の運次第だから」と思っていましたが、草太と出会いこの旅を通して、「草太がいない世界の方が怖い」と思うようになりました。

草太が要石になるなら鈴芽自身がなると思い、ダイジンは自分が要石に戻ることを決意します。
この時のダイジンの「鈴芽の子にはなれなかった」という言葉は心に響くものがありました・・・

そして常世に迷い込んでいた4歳の自分を助けたのは自分自身であったと気づくことができました。

辛い過去を受け入れて4歳の自分を導けたのは間違いなく鈴芽自身の成長の証だと思います。

現在の鈴芽が4歳の鈴芽に伝えたことが新海誠監督が伝えたかったことでは無いでしょうか。

草太の成長

宗像という名字は宗像神を鏡や玉などを用いて「身体之形」にして「身形」(ミノカタ)と称したという説や、宗像三女神が出現した際に、胸や肩から光が放たれたことから「胸肩」(ムネカタ)だった説があります。確かに草太が呪文を唱えると体から光が出ていた。

ちなみに草太の呪文を読みやすくすると畏れ多きもミミズの天敵でもある日見不の神よ、荒ぶった土地神の心を鎮めるために、長い間使われてきたこの土地のかつての想いを常世にお返しすることをお手伝いいただけないでしょうか?のようになると思います。
日見不の神はモグラのような神とされている。

草太鈴芽と同様に両親がおらず祖父に育てられたようです。

物語の途中で芹澤が言ってますが草太自分を大切にしない人格です。

行動でもわかりますが、無関係の鈴芽を巻き込まないようにしたり、椅子の姿になっても自分1人で全て解決しようとしたり、東京でミミズが出てきた時も1人で行動しようとしてました。

周りを巻き込まないようにしたいという気持ちが強く、その結果草太自身が傷つくことを考慮していないと思いました。

ただ草太鈴芽との旅を経て、「まだ死にたくない」「こんなとこで終わりたくない」「君とまだ生きていたい」と強く思うようになりました。
その草太心の扉を開けてくれたのは鈴芽ですが、草太の想いによるものも大きかったのではないでしょうか。

最後の言葉

九州に帰った鈴芽がまた日常に戻り学校へ向かおうとすると坂の下から草太が歩いてきます。

その時に鈴芽がかけた言葉は「おかえり」。

ここで思い出して欲しいのですが東北の常世で土地の想いを聞くシーンだと「行ってきます」「行ってらっしゃい」の2つしかありません。

その土地で何があったか、いつもの日常、いつもの朝と変わりなく迎えたその日は3.11。

おかえり」「ただいま」と言えることが、家族のもとに帰れるのがどれだけ幸せなのかと感じました。

伝えたかったこと

この映画は東日本大震災3.11を題材にしており新海誠監督は見た人に今一度災害を思い出してほしいと。「鎮魂」したいと。今なお苦しんで絶望している方も多くいらっしゃるとおもいます。「でも必ず光がある」「未来は明るい」と言うことを伝えたかったのでは無いでしょうか。
そして未来を明るく照らしてくれるのは他でもない「未来の自分」であると。

終わり

【すずめの戸締り。私の中では「君の名は」「天気の子」よりも好きな作品になりました!!

アニメーションは素晴らしいですし、ストーリーは共感できて泣ける。

個人的には芹澤朋也がめちゃ好きだった!

大きな震災を題材にし、かなり制作は困難を極めたと思いますが、新海誠監督にしできない、つくれない作品だと思いました。

登場人物それぞれの考えてることも理解できるし様々なところで考えさせられる作品でした。

2度映画を見ましたが、2回目の方が視点が広がり考察できて面白かったです。

この記事に書いてある考察は私個人の考え方なので違う意見の方も多くいらっしゃると思います。でもそれで良いと思います。人によって感じ方、受け取り方、考え方は違うのです

地震に限らず、いろんな出来事に落とし込める話だと思います。そんな時に光を差し伸べてくれるのは「未来の自分」だと信じて生きていきたいと思います!!

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