不思議で怖くて面白い、そんなSCPを紹介したいと思います!!
今回は超怖い日本のSCP 【けりよ】と【しんに】を紹介したいと思います!!
SCPとは
SCPとは常識に反した超常的な存在です。生物に限らず物や場所などのことを指すことがあります。それらを確保、収容、保護することを目的としているのがSCP財団です。
SCPには収容難易度によってランクづけされておりオブジェクトクラスと言われています。
・Safe(セーフ)
注意して収容しとけばそんなに危険じゃないよ!
・Euclid(ユークリッド)
よくわからないことが多くて危険だよ!収容が難しいかも・・・?
・Keter(ケテル)
収容することができない!なかには人類への壊滅的な危機または世界が終わる危険性があるよ!!
主にこの3種類に分類されてます。
SCP-511-JP けりよ
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-511-JPは現在サイト-8142の収容ロッカーに保管されています。外部への持ち出しは禁止されており、研究目的での再生等には担当職員2名以上の許可が必要です。
説明: SCP-511-JPは、1993年7月22日に福岡県鞍手郡の民家から発見されたビデオテープです。発見の前日、先述の民家ではそこに住む一家の失踪事件が起こっていたため、何らかの異常現象の発生を危惧し複数名の財団エージェントが派遣されていました。エージェントが家宅捜索の過程で回収したビデオテープを再生した際に後述の異常性が発覚し、SCP-511-JPへのナンバリングと現行の収容体制の確立が為されました。
SCP-511-JPの異常性は、そのビデオテープを再生した際に生じます。再生中、ビデオの映像及び音声には不定期なタイミングで数秒間のノイズが発生し、不明瞭な画像と音の断片が挿入されます。発生のタイミングは再生の度に不規則に変化しており、このノイズは他の映像記録媒体に複製したときには発生しません。
ビデオテープの分析によると、磁気情報には通常の経年劣化以外の変化は全く見られず、先述のような形式でのノイズが発生する明確な原因は確認できないことが示唆されています。
再生中に挿入される先述の画像と音声の両方を同時に視聴した場合、その視聴者は幻覚・幻聴を伴う可逆的な不安障害を発症します。症状としては急性期の統合失調症に類似していますが、薬剤による対症療法の効果が薄く、EMDRやECT、或いは記憶処理によっての快復効果が顕著に見られることから、SCP-511-JPにより発生する精神的影響は視聴者の側頭連合野、及び海馬をはじめとする記憶領域に未知の影響を与えていることで発生しているとの仮説が立てられています。
この異常性の為、SCP-511-JPに記録された内容を視聴する際には原則として複製されたものを用いるか、映像と音声のいずれかを出力しない状態で視聴することが義務付けられています。
SCP-511-JPに記録されている映像は、主に中年の女性とその子供と思われる女児の2名を撮影したものが複数個、時系列に沿って数分おきに切り替わる形式で構成されています。
いずれも映像の劣化が激しく、確実な特定には至っていませんが、この2名はSCP-511-JPが発見された民家に在住していた皮田 シズ(失踪当時で37歳)、及びその娘である結名(失踪当時で8歳)であると推測されています。
やばいビデオテープじゃん!!怖そうだけどこの2人の女性が鍵になりそう・・・
記録511-JP_1
SCP-511-JPの再生時に挿入される画像及び音を視聴することにより生じる幻覚と幻聴は、多くの場合でそのノイズの形式に類似したものとなります。個人差はありますがそれらの症状は概ね3時間に1回程度の頻度で起こり、そのために罹患者は激しいストレス反応を示します。
再生中に挿入されるものの詳細については、記録511-JP_2及び記録511-JP_3を参照して下さい。
記録511-JP_2
1993年7月27日、SCP-511-JPの映像に挿入されるノイズ音を録音・解析する作業が行われ、その結果として、多くの場合でノイズ音の中に共通して人の声らしきものが混在していることが判明しました。この音声は極度に圧縮し或いは引き延ばされ、且つ再生する度に内容が変化していると推測されており、そのために詳細な文字起こしや声の主の特定といった作業は難航しています。
以下に添付するのは、同日に行われた再生において09:07から09:08までの約一秒間に挿入されたノイズを解析し、そのノイズ音の部分を抜き出した音声ファイルです。音声の判別及び可聴性の向上のため、財団の音声解析チームによってピッチや速度に編集が加えられている事に留意してください。
音源は元記事にあります。
女性の声・・・?何を言ってるかわからないけど何かを伝えようとしてる・・・?
記録511-JP_3
SCP-511-JPの再生時、ノイズ音と共に挿入される画像は再生する度に変化しています。いずれも通常時の映像と同様に色相等に経年劣化の兆候が見られています。通常時の映像では恐らくVHSビデオカメラで撮影されたために記載されていると考えられる撮影日時の情報が画面左下に表示されているのに対し、挿入されている画像はこのような表示は見られません。
再生日時 | 通算再生数 | 再生時間 | 内容 |
---|---|---|---|
1993/7/26 | 4 | 00:41 | 床の間のような場所で正座し、合わせ目が逆になった着物を着て微笑している老婆。 |
1993/7/26 | 4 | 05:12 | 布団に寝かされた成人男性。目と口を大きく開いて笑っている。 |
1993/7/26 | 4 | 09:05 | 笑顔の男児。場所が何処であるかは不明。両方の手の甲を打ち付けるようにして拍手している。 |
1993/7/27 | 7 | 03:48 | 恐らく男児を象っているとみられる、微笑した日本人形の首。 |
1993/7/27 | 7 | 09:07 | 笑顔の女児。場所が何処であるかは不明。両方の手の甲を打ち付けるようにして拍手している。 |
1993/7/29 | 12 | 07:17 | 和室の欄間に結び付ける形で吊るされた白提灯。その房は一般的な総角結びではなく、縦方向の蝶結びに結われている。 |
1993/8/2 | 14 | 06:27 | 畳の上に置かれた、来迎図の描かれた屏風。屏風は上下逆に立て掛けられており、その向こうには僅かに布団の端のようなものが見える。 |
1993/8/2 | 14 | 09:05 | 笑顔の男児。場所が何処であるかは不明。両方の手の甲を打ち付けるようにして拍手している。 |
1993/8/3 | 15 | 04:39 | 床の間に立てられた姿見。鏡面ではなく、背面を向けている。 |
1993/8/3 | 15 | 09:07 | 笑顔の女児。場所が何処であるかは不明。両方の手の甲を打ち付けるようにして拍手している。 |
1993/8/5 | 18 | 09:06 | 笑顔の女児。場所が何処であるかは不明。両方の手の甲を打ち付けるようにして拍手している。 |
1993/8/6 | 20 | 09:05 | 笑顔の男児。場所が何処であるかは不明。両方の手の甲を打ち付けるようにして拍手している。 |
補足・・・合わせ目が逆の着物は死装束、死者が着るもの。
手の甲を打つ拍手は裏拍手、死者がする拍手。
縦方向の蝶結び、死装束の帯の結び方。
上下逆さまの屏風は逆さ屏風、死者の枕元に立てる屏風。
縁起が悪いものばっかじゃん・・・裏拍手しすぎでしょ・・・
記録511-JP_4
記録者: 中山博士 付記: 中山博士は、SCP-511-JP発見当時の家宅調査に同行していた財団職員の一人です。九州地方の民俗学を研究しており、財団における社会学第三調査班の主任を務めています。 (以下、記録の抜粋) あの場所に対しての違和感の様なものは、麓で車を降りたときから感じていた。 元々その家の位置している集落自体が山あいに在るのだが、その中でも特に……殆ど「隔離されている」と言っても差し支えないような、立地や往来の不便さといった面でも其処に家を建てて住まうという事自体に違和感を覚える場所に、その家は建っていたのである。 舗装もあまりされていない道路を何時間か走り、そしてこれ以上は車で行けないという段になってからは、前もって案内を頼んでいた近隣住民の先導での歩きに切り替えることとなった。高く伸びた竹林の所為で真昼だというのに足元が覚束なくなるほどに暗く狭い山道を20分ほど歩き、道が右手側に少し開けたところに出た。漸くその家に着いたのかと少々安堵して、視線をそちら側に遣ったとき、私は愕然とした。 確かに、我々が目的としていた皮田家は其処に在った。10帖程度だろうか。瓦葺の、平屋の、いかにも昭和の古民家然とした外観である。家は右手側に曲がってから更に40mほど先に在り、その一帯があまり除草されていない事もあり、詳しい様子を此処から伺い知ることは出来なかった。 しかし、問題はそこではない。家の外観を詳しく見ることが出来なかったのは、それだけが理由ではなかった。家と我々の間を隔てる、その40m程度の空間。欝蒼とした竹林の山道を通った先に、それがあった。 まず手前側に、小さな鳥居。高さは170cmくらいだろうか、神明鳥居といわれる直線的で装飾の少ない形をしたもので、貫がやや低い所に取り付けられていることを考えると大人は多少屈まなければ潜ることは難しいであろう。苔生して多少は風化していると思われる石造りの鳥居は、しかし著名な神社にあるような立派なものではなく、所々にでこぼことした突起があり、仮漆の塗装もされていないのか或いは既に剥がれてしまったのか、石質はざらざらとしていた。そして、その鳥居を潜った三、四歩先には。 数十……いや数百といった数で、所狭しと地蔵が転がっていた。高さは異なるが大体は大人の膝くらいまでで、体格としては三頭身にも満たない程度のものである。微笑を浮かべたその表情は一つ一つばらつきがあり、恐らくはこちらも手作りであるようだった。勿論高度な彫刻作品といった印象ではなく、切り出された大きな石に顔の造形だけを彫ったといった感じの、寝袋を着た人のような造形である。 通常、地蔵には地蔵墓といわれる薄い板の様な墓石を附ける。例えば戒名などを彫る際、そのまま地蔵に文字を彫るわけにはいかないため、また別の石を用意してそちらに戒名や真言といったものを刻み付けるのだ。しかしそれらは違った。 よしこ、けいた、ゆき、じろう、まゆこ、ゆうじ、そういった名前が、お世辞にも上手とは言えない平仮名で、地蔵の胴の辺りに直接彫りつけられていた。 我々が呆然と立ち尽くしていると、それまで先導していた住民の方が、皮田はこの先に見えますあちらの家です、この仏さんは大丈夫なものですけん上ば歩いてってください、では私はこれでと言い残して山道を下りて行った。我々もここに居ては埒が明かないと先へ進むことにしたが、私の申し出で鳥居を潜って直線的な道のりで家まで向かうのではなく、周囲にある竹林の中から回り込むようにして歩いていくことになった。 地面にぎっしりと転がった地蔵を踏み越えて進むことは道義的に、そして単純に足場としても危険であったこともだが。あれらを見たとき、私がそれまで感じていた違和感が一気に膨れ上がり、少なくともあの鳥居は潜らない方が良いと直感的に判断するに至ったからである。 「注連縄」……拝殿や鳥居に掛けられる、あの絡み合った二本の縄の出自を知っているだろうか。起源は日本神話においての岩戸隠れ、天岩戸から出た天照大神が再び岩戸に籠ることの無いように結界を張った謂れであるとされているが、民俗学的には 信仰、一対の蛇の交尾を表わしたものとも考えられている。北東の方角、つまりは 鬼門 ナメラスジで結び目を作り、不浄なものとの結界を形作る。 最初は、鳥居に右綯えの注連縄が掛かっているのだと思っていた。しかし、それをよく見た時……正直に申し上げると、私は戦慄した。 結び目は燃やされ、ぞんざいに貼り付けられた紙垂は向きが逆になっており、そして。 二本の縄だと思っていたものは赤茶けた髪の毛だった。 (記録ここまで)
なんかわざと縁起悪くしてない!?村の人たちは直さないの!?神様が怒っちゃうじゃん!!
記録511-JP_5
SCP-511-JPは発見当時、市販のビデオテープケースに収納された状態で居間の机の上に置かれていました。中にはSCP-511-JPに指定されるビデオテープと共に一枚の紙片が入っており、これには特筆すべき異常等が確認されない事がのちの調査で推定されたため、現在はサイト-8142内の非脅威的関連資料室に保管されています。紙片は和紙の上から油性インクで文字が書かれており、その書き振りから九州地方に在住していた経験のある人物が書き手であることが推定されていますが、その書き手の特定には至っていません。以下はその紙片の複写と、一部の表現に対し中山博士が附した注釈です。
いつも はらかいたのわ あちのことだのに そうやって もんくばかりゆうのわ だめだないか けっきおくわ かわたのゆなが ほがされた ねまとったて わめきちらして あとは なんでも こちにくるので しかたもないとおもう
「はらかいた(はらかく)」: 福岡地方における、「腹を立てる」を意味する表現。 「ほがされた(ほがす)」: 九州地方全域において「穴を開ける」、「穿つ」という意味で使用されている。しかし小笠原地方では「散らかす」といった意味で同様の表現が見られる。 「ねまとった(ねまとる)」: 不明。しかし「ねまる」という表現であれば九州地方で使用されており、その場合は腐った肉が粘り付く事を意味する「ねばる」から転じて「(料理、食べ物などが)腐る」事を指してこのように表現する。この文章では度々、意図してのものかは判断しかねるが促音を表記しない部分が多々見られるため、「ねまる」を九州地方の方言文法で過去進行形にした際の表現「ねまっとった」からひとつ促音を抜かした結果「ねまとった」という表現になったと考えるのが自然ではないか。 「かわたのゆな」: これが「皮田の結名」を表すのか、それとも「カワタの湯女」を表すのかは不明。
補足・・・「カワタの湯女」、「カワタ」は「穢多」の別称。穢れが多いとされ、神様が嫌うとされている。「穢多」は日本で差別されて嫌われていた人々のことを指します。
待て待て待て、「皮田の結名」って行方不明の8歳の子か!?この紙って人が書いたものだよね・・・?内容も不穏だし誰かが行方不明になった親子を陥れようとしていた・・・?
記録511-JP_6
以下は、SCP-511-JPの映像記録の抜粋です。
[記録開始] [00:01]: (映像は桜並木を映している) [00:06]: 声1: はあい、もう恥ずかしがらないの、出てきて。お母さんに見してよ。 [00:10]: (一本の桜の木の向こうからランドセルを背負った女児が現れ、カメラに向かって歩み寄る。) [00:14]: 声1: ふふ、よくできました。ゆうちゃん、初めてランドセルしょったけど、どう? [00:21]: 声2: なんかねえ、思ったよりおっきくて、びっくりした。 [00:26]: 声1: あはは、そっかあ。 [00:30]: 声1: ゆうちゃんお友達出来そう?頑張れる? [00:37]: 声2: うーん、わかんない。でもねえ、よしちゃんもゆきちゃんも、まゆちゃんもいっしょのクラスだったからねえ、いっぱい遊ぶの。 [00:48]: 声1: そうなの、みんな一緒のとこだったんだねえ。でもね、知らないお友達とも、沢山お話ししないとだめだよ? [00:54]: 声2: わかったあ。 [00:58]: 声1: はあい、いいお返事。ねえ、これからどこいこっか。今日はお祝いだからね、何か美味しいもの食べに行く? [01:06]: 声2: ほんと?じゃあねえ、ハンバーグがいい。 [01:11]: 声1: ええ、またあ?もうお母さん、またゆうちゃんが食べきれないって言っても食べてあげないよお。 [01:18]: 声2: あれはまだちっちゃいときだもん、もうお姉ちゃんだからそんなこと言わないもん。 [01:37]: (画面が切り替わり、日本家屋の居間と思しき場所を映す。1カメラは机上に置かれた小さなフルーツケーキとその上に立てられた「8」という数字の形をしたキャンドル、その後に向かい側の椅子に座る女児を映す。) [01:42]: 声1: ゆうちゃん、準備はいい? [01:45]: 声2: うん、いいよお。 [01:49]: 声1: よおし、お母さんが歌ったげる。 [01:53]: (カメラが机上に置かれる。声1の主が、手拍子をしながら「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー」を歌う。) [02:11]: 声1: ハッピバースデートゥーユー。おめでとおー。あ、待って待って。 [02:19]: (カメラがぶれ、再び元のアングルに戻る。) [02:21]: 声1: はい、いいよお。消して。 [02:24]: (向かい側に座る女児が、キャンドルの火を吹き消す。) [02:28]: 声1: わー(拍手の音、同時にカメラがぶれる)、おめでとう。 [02:35]: 声2: ねえ、食べていーい? [02:38]: 声1: うん、いいよお。 [02:40]: (女児がキャンドルを皿の外に置き、ケーキを食べる姿を映す。) [02:51]: 声1: おいしい? [02:53]: 声2: うん、おいしい。お母さんにもあげるー。 [03:02]: 声1: え、本当?嬉しい。じゃあさ、あーんってして食べさせてよ。 [03:08]: 声2: えー、わかったあ。じゃあお母さん、あーん。 [03:14]: (女児がテーブル越しに、ケーキの欠片を乗せた子供用スプーンをカメラの方向に向けて差し出す。カメラが一瞬大きくぶれ、天井を向く。) [03:17]: 声1: あーん。んー、美味しい。ゆうちゃんありがとう。 [03:22]: (カメラは暫くの間、ケーキを食べる女児を映す。03:51以降から時折、鼻を啜る様な音が聞こえ始める) [04:15]: 声2: あれ、お母さんどうかしたの?お腹痛いの?大丈夫? [04:26]: 声1: いや、大丈夫。大丈夫だよ。ごめんね。 [04:36]: 声2: ほんとに? [04:38]: (声1の返事は無く、啜り泣き、しゃくりあげる声のみを漏らしている。) [04:59]: 声1: ねえ、ゆうちゃん。 [05:03]: 声2: なあに? [05:11]: 声1: ごめんね。 [05:16]: 声2: いいよ。 [05:20]: (カメラが再び机の上に置かれる。声1のくぐもった泣き声が一層大きくなる。) [05:54]: 声2: お母さんのせいじゃないもん。 [06:13]: (画面が切り替わる。撮影場所は神社の中であると思われ、葬場祭らしき儀礼が執り行われている様子を俯瞰視点で映し出している。ただしその参列者らは喪服を着ているものの一様に笑顔を浮かべており、何処からか節を付けた祝詞らしき詞と「越天楽」と思われる雅楽が聴こえる。) [06:40]: (カメラが動き、参列者ではなく前方にある祭壇と棺、神主を映す。神主の姿はカメラからは背面しか映らないが、祝詞奏上の儀を行っているように見える。) [06:59]: (カメラが棺と祭壇の方向にズームする。祭壇に遺影は無く、本来遺影が置かれる場所には玉串が置かれている。玉串に複数結びつけられた紙垂には全て文字が書かれているが、映像の劣化からその判読は困難である。) [07:13]: (画面が切り替わり、SCP-511-JPの発見場所である家屋の外観を映し出す。) [07:15]: 声1: ここが、今日からのお家だよ。 [07:20]: 声2: うん。 [07:24]: 声1: 意外と綺麗な見た目だね。もっとぼろぼろなのを想像してたけど、意外と何とかなるのかもね。 [07:36]: 声2: うん。 [07:40]: 声1: 入口の準備はしたし、お世話になった方々の挨拶にも行ったし、皆の分のお地蔵さんも置いたし、これでもう大丈夫だよ。 [07:49]: 声2: うん。 [07:53]: 声1: みんな、笑って送り出してくれたもんね。ちっちゃい頃からゆうちゃんと仲良しだった3人も、学校で新しくお友達になったけいちゃんもじろうくんもゆうくんも、みんな、頑張ってねって、言ってくれたもんね。 [08:11]: 声2: うん。 [08:16]: 声1: ゆうちゃん。 [08:21]: (カメラが右方向を向く。恐らくは「ゆうちゃん」であるとみられる女児がカメラの方向を向いている様子が映し出される。女児は髪を全て剃り落としている。) [08:28]: 声1: あ、恥ずかしがらないね。ああ、もうお姉ちゃんだもんね。ゆうちゃんは、偉いねえ。まあ、お母さんもおんなじだもんね。お母さんも、もう大丈夫だよ。 [08:42]: (「ゆうちゃん」が微笑する。カメラがぶれ、再び家の方向を映す。) [08:50]: 声1: それじゃあ、行こっか。早くしないと来ちゃうかもしれないし。 [08:56]: 声2: ねえ、お母さん。 [09:00]: 声1: ん、何?ゆうちゃん。 [09:07]: 声2: うしろ、もう [記録終了]
救われない・・・この親子には逃れられない不幸が訪れたんだね・・・てかあの不吉な神社(入り口)とか地蔵を用意したのこの親子なのか。いや用意させたれたのか。あとお姉ちゃんって?妹か弟の描写なんてないよね・・・?
記録511-JP_7
1896年、郡制の施行により再編された福岡県鞍手郡では、20年後の1916年に大幅な人事再編の行われた郡役所において郡長が「郡史記錄編纂委員會」を設置し、現在の直方市にあたる直方町やその周囲にある新入村、犬鳴谷村といった地方の民俗誌を編纂する事業を発足させました。当時は日本民俗学の開祖である柳田國男が高木敏雄と共に刊行した民俗学誌「鄉土硏究」の影響で民俗研究が各地で盛んに行われていたこともあり、郡史は3年ほどで完成し、刊行に至りました。
以下は、その時実際に作られた鞍手郡の民俗誌「鞍橋くらじ紀要」における記述の抜粋です。
亥鳴ノ村ニ傳ヘラル逢魔ノ亊 西方ナル亥ノ子塲ニテハ、山神ノ類在リト云フ。 山譽 ヤマボメ トハ異ナリテ、人人ハ 手作 タヅクリ ノ罠ヲ用ヒテ神ヲ捕フルトゾ傳ヘラル。 賽ノ河原ニテ悲泣シタル水子地藏ヲ 荒 スサマ シク穢シ、其ノ泣聲ヲ聞タル山神ハ地藏ノ許ヘ行クガ故、 誘 オビ カルゝ其ノ者ヲバ封ズルニ能フト云フ。
おいおい、超有名な名前が出てきたぞ、「犬鳴谷村」って「犬鳴村」のことか!?
しかもこの民族誌に書いてあるのは「山神」の捕らえ方・・・?
もしかして今までの不吉な出来事は全て「山神」を捉えるためなんじゃ・・・
そしてその「山神」はどこに行った?もしかしてこの「ビデオテープ」の中には・・・
怖すぎる和風SCP!!このビデオテープの異常は「山神」が中に封印されているから!?(ちなみに亥鳴ノ村とあるが亥は猪のこと、猪は山の神として信仰される。)そのための犠牲として親子は犠牲になったのか・・・?解読するのが難しいこのSCP!謎が深まるばかりだがこの後の【Tale しんに】にその謎の真相があるかも・・・?
著者 [Pear_QU] 原作記事 SCP-511-JP – SCP財団 (wikidot.com)
Tale しんに
職業柄というものなのかは判りませんが、各地の民話や伝承、或いは俗に「怪談」と謂われるものを集めていると、時として「これは話してはいけない、誰にも言わず心の中に留めておかなければならない」と直感的に感じるような話に出くわす事があります。
良くある「自己責任系」の怪談や一昔前に流行った不幸の手紙のように、これを読んでから何々をしないとその人に明確な災いが降りかかる……とか、そういった話ではありません。寧ろ怪異としては地味で、怖がらせることを目的として作ったホラー映画や怪奇小説のような起伏も無い、そういったものの方が多いかもしれません。
何というか、物凄く恐ろしい化け物が出てくるという恐怖や実際に話を聞いたことで何人もの死者が出ているといった由縁などではなく、ただ単純に本能が「危険」だと判断するのです。
「怪談には語っていい話と語ってはいけない話がある」とは或る著名な怪談作家の言ですが、そういった話を聞いた際には、正にそんな印象を受けます。
私が思うに、恐怖というのは、人という生き物が進化して様々な情緒を先鋭化していく中で今も形を変えて進化を続けている、そんな可変の感情なのではないでしょうか。
最初、というより原初は恐らく、死への恐怖だったでしょう。人間が猿のような姿をして狩猟採集を行っていた頃、唯一かつ絶対的な恐怖とは上位の生物による捕食であったと思います。しかしそこから人間は「社会性」を得て、それに伴って様々な感情を得るに至りました。
例えば、今いる地位が崩れることの恐怖。例えば、大好きな人から嫌われてしまう恐怖。それらは或る意味、人間だから持てる感情です。
それらは「死」とはまた別の、それぞれがそれぞれに持つ「いやなこと」を想像していくことによって形を変える、そんな感情である訳ですから。
恐怖症などもいい例です。私の友人には集合体に対する恐怖感情を抱いている人がいるのですが、彼女は台所の流しに溜まる洗剤の泡ですら見ることを厭がります。
勿論、洗剤の泡が死に直結する事はありません。しかし彼女はそれを怖いと感じ、出来る限り接触を避けようとするのです。それらを恐怖するに至る理由はその人の出自や背景によって様々で、色んな事情がある事なのでしょう。
しかし、先ほどから書いている「語ってはいけない話」については、それらとは少し違います。各々が心の中に持ついやなことをその話から想像してしまうといった形での恐怖ではなく、ただただ禁忌を感じ取ってしまうのです。どんな出自の、どんな性格の人が聞き、或いは読んでいるかなどとは関係なく、それが「駄目な」話であることを無意識のうちに自覚してしまうのです。
私と同じような趣味、或いは職業を持っている方も時々、そういった話に出会っている方はいらっしゃいますので、ひょっとしたら今これを読んでいる中にも、そんな経験に心当たりのある方がいるかもしれません。
これから書くのは、私が以前に聞いたそんな禁忌のうちのひとつ或いは複数を、出来る限り希釈して描写したものであると思って下さい。
勿論、ここで書いた個人が特定されたり、それこそ何らかの影響が読み手側に出ることの無いように幾つかの嘘やぼかしを交えつつ書いていきます。この文章を書く前に大まかな構成と内容について何人か私の信頼できる方にチェックを入れてもらい、了解を頂いておりますので、恐らく読んだだけでは何の影響も無いと思います。
ただ、万一これを読んでいる途中で何かを感じ取ってしまった場合には、すぐに読むのをお止め頂くことを推奨します。先程も言った通り「読んだ人に明確な災いが降りかかる」といったものではありませんし、そもそも霊障とはそんな単純なものではありませんので、読むのを止めて頂ければそれだけで大丈夫です。
知らない方が幸せなこともあるもんね、すごい念押しされるけど【けりよ】の真相を少しでも知りたいし・・・読むしかないね・・・
SCP-???-JPを御存じでしょうか。御存じでない方に簡単に説明すると、福岡県鞍手郡という所に住む、失踪した或る母娘のビデオテープに纏わるSCPで、このビデオテープに記録された映像には不定期なタイミングでノイズが入り、不明瞭な音声のようなものと良く分からない画像が挿入されます。
異常性はこれを視聴した人がそのノイズに類似した幻覚と幻聴に悩まされるというもので、報告書には”記録???-JP_(番号)”という形式でこのSCPに関する様々な調査資料が添付されています。
以下は私の知る、SCP-???-JPに纏わる話である、という事にします。
私が福岡県の民話について調べ始めたのは、約10年ほど前の事でした。学術的な興味があったからといった高尚な理由ではなく、どちらかというと何処かに怪談のネタが転がっていないだろうかという下世話な野次馬根性が根底にありました。
最初はネットで福岡地方の民俗語彙などを収集することから始め、やがてその周辺に行く用事が出来た時には幾つかアタリを付け、近くにある神社や民俗資料館に立ち寄ってみたりもしました。傍目から見たら変な人だと思われたかもしれません。
突然見ない顔の来客が来て、民俗資料やその地の言い伝えについてあれこれと聞いていくのですから、当然と言えば当然の事です。
しかしどの地域にも話し好きの方というのは一定数いらっしゃるもので、有難い事に何十分もかけて幾つもの奇談の類を聞かせて頂いたり、神社の奥の方から古めかしい書物の類を引っ張り出してきてくださったりと、丁寧に対応して頂ける事も多かったです。今思えば、民俗学のフィールドワークに来た学生か何かに間違われたのかもしれませんが。
数年前、とある小さな神社で、禿頭の好々爺然とした神主さんに、狐に化かされた男の滑稽話や海岸の大岩に変化してしまった海女の悲しい物語などを色々と聞いていたときの事です。来客は久々らしく、上機嫌に話して下さるそのご老人の話をうんうんと聞いていると、話はそのうち彼の身の上話になりました。聞けば彼は数十年前に奥さんを亡くされてから、子供も居らず、殆ど一人で此処を管理しているとの事でした。
そういう場合には巫女をバイト等で雇わないものなのかと聞いてみたのですが、今はどの家庭も忙しく、その様な神社の管理をするために働こうとする方は中々居ないのだそうです。
考えてみれば、巫女は月のものがある間はその職業内容が制限されるとも申します。そのため古い神社ではある程度年齢を重ねた方をのみ雇い入れる場合も無くはないのですが、確かにそういった場合ならば大多数の女性が社会で働く今の時代に神社で巫女として働こうとする、というよりも働くことの出来る方は少ないでしょう。私は彼の皺の多い顔を見ながら、ただ話を聞くことに専念しました。
奥さんの死因が何であるかは語りませんでしたし私も聞かなかったのですが、その話の端々に出てくる表現などから繋ぎ合わせて考えるに、恐らくはその心、精神に関係するものであったのではないかと私は推測しています。勿論、名前も知らない故人の事について無闇矢鱈に深く詮索する権利など私にはありませんので、そう感じるに至った要因等を詳述する事は、ここでは省かせて頂きます。
非常に優しく、気立ての良い方だったのだそうです。神主さんの管理する神社は民社といわれる部類のもので、簡単に言うと個人経営のような形態でした。通常、国家が祭祀を行うような官社といわれる神社の場合、神主になる為には多くの勉強や実習の末に特別な階位を授与されている方でないとそもそも宮司などにはなれないのですが、これに対して民社だと往々にしてこの辺りが緩く、家系だけで跡継ぎを決めるような場合も多いのです。
それが良い悪いという話ではありませんが、この神社も多分に漏れずそのような傾向にあり、つまり彼は所謂「神社の家系」であったのです。このご時世に神職、しかも(彼の仰っていた表現をそのまま借りると)「非公式」なものとは、という事で、奥さんの家族からは猛反対を受けていたのだといいます。
最終的には半ば家を飛び出す形で二人は結婚し、幸せな家庭を築こうとしました。
しかしその生活も長くは続かないまま奥さんは亡くなり、心に大きな空白が出来た様な心持ちの中で、彼は再び一人で神社を管理していかなくてはならなくなったのだそうです。
それで、と言って、彼は先程まで私に見せていた分厚い書物を自分の手元に戻すと、頁をぱらぱらと捲り出しました。「鞍橋紀要」と書かれたその本は重厚な装丁の民俗雑誌で、今でいう所の町史や市史にあたる物だと思います。この地は昔どこどこの豪農が庄屋を構えていたとか、併合される前はこんな名前の村だったとかのありがちな情報の他にも、民話や伝承の章が作られていました。五十音順でその地に伝わる説話をはじめとした民俗語彙が説明されています。
今はそういった昔話の継承という観点でもそういった情報を盛り込んだ市史を作るのは然程珍しくはありませんが、この時代にあって民俗学(当時にこの呼称が浸透していたかどうかは分かりません)的な論考の為に特別に章を割いているというのは、それなりに珍しい事のように感じました。
探していた頁を見つけたのか、彼が再びその本を私の方に向けて差し出しました。そこは”と”の欄で、「取返歌ノ亊」と書かれていました。これを指して彼は言います。
こいが、とりかえしのうたっちゅうとよ。あっちゃん行ってしもうた女房を、一遍だけ呼び戻しゆる歌って事たいね。
見れば、それは降霊術の一種の様でした。といっても狐狗狸さんのようなものではなく、どちらかというと生口や沖縄地方のユタに似ているように思えました。しかし。
とりかえしの、ですか。そう私は問いました。取り交わしの歌、だったら覚えがあったのです。福岡地方に伝わる婚姻儀礼の一種で、両家の親睦を深めたり嫁入り道具を収受する時に歌われる祝い歌の事を指してこう言います。
”こがん荷物ば受け取るからにゃ、まんご末代帰しゃせぬ”。両家の大黒柱が音頭を取って、酒宴で赤ら顔になった家族がそう歌う様子は、福岡に何人か親戚が居る私も良く知っていました。
ですが老人は、いんにゃとりかえしのうたよ、と返します。そして、その歌について詳しく語り出しました。
ここでもう一度釘を刺しておきますが、この文章には幾つもの嘘やぼかしが混ざっています。今から言う事を正確に再現しても、まず何の成果も得ることは出来ません。
それが出来るのは未亡人に限るのだそうです。ここでいう未亡人とは今のように夫に先立たれた妻を指す意味ではありません。その意味だけを指すのではありません、といった方が正確です。要は夫婦のうちどちらかに先立たれた人という意味で、文字通り未だ亡くならない人の事を表します。
夫婦どちらかが死ねば、もう一方はそれに殉じなければならない。取返歌は、そのような価値観が未だ残っていた時代に作られたものなのだと私は推測しました。
その未亡人は儀式に先んじて、何年か髪を切らずに伸ばし続けます。頃合い、つまり取返すに足る毛量になったらそれを全て剃り落とし、取返しの儀式のために使用します。
長く伸びた髪の毛を二本の毛束に分け、これを縄に見立てて注連縄を綯っていきます。注連縄というのは縄を綯う向きが右綯え(反時計回り)か左綯え(時計回り)かによってその意味を変えるのですが、この儀式においては亡くなったのが女性であった場合には右綯え、男性であった場合には左綯えにして縄を作るのだそうです。
注連縄が時計回りであった場合には太陽の巡行を表すため男性的な力を、反時計回りであった場合にはそれの対になる存在、つまり月を表すため女性的な力を象徴するというのは神道学でも良く聞く話ですので、これもそういった話に関連するのかもしれません。
私は彼の頭の辺りに視線を遣りました。
神道の伝承者たる神社の神主には当然、剃髪の義務はありません。しかし彼の頭は不自然に禿げ上がっており、剃刀を当てたような赤い傷跡が所々に残っていました。
注連縄を用意したならば、それを結ぶものも用意しなければなりません。この場合、それは手製の小さな鳥居に結ばれることになります。鳥居の主な材料となるのは、故人の墓石と遺骨が一般的であるとの事でした。
笠木と貫、そして二本の柱といった、それが鳥居であると判別できる最低限のものさえ揃っていれば良いらしく、そのため装飾的な明神鳥居ではなく作りがシンプルな神明鳥居を作る人が多いようです。
鬼門の方角に結び目を作ったのちにその結び目を燃やし、それと同時に歌を謡います。節や歌い回しは聞きませんでしたが、その詞は概ね以下のようなものです。
“あがんみまけばたまよびするにゃ、けりよけりよとつんぼがみ”
補足・・・おそらく読みやすく訳すと”あんな身内を魂呼びするな、けりよけりよのつんぼ神”
つんぼ神は耳の聞こえない神様。
この謡を行うとその人の中に配偶者の御霊が憑依し、様々な幻覚や幻聴といった形で自らの意思を示すのだといいます。これを行うことが出来るのは人生に一度きりであり、仮にここで憑依に失敗した場合でも二度目は無いのだそうです。
私はこれを聞いた時、彼に二つの質問をしました。一つ目は、この詞に関する事でした。
この、けりよという語を私は存じ上げないのですが、どういった意味なのかを教えて頂くことは出来るでしょうか。
先程までと変わらないにこやかな調子で、老人はすぐに答えて下さいました。それは漢字を当てると「帰依」であり、そのまま神への帰依を表すのだそうです。帰依かえりよるが転訛して、けりよになったのだと。
ありがとうございます。それで、もう一つの質問なのですが。
奥さんはあなたに何と言ったのですか。
老人は。
小面の能面のような、とてもおそろしい笑顔で、私に言いました。
「くるな」
この老人も明らかに正気じゃないよね・・・てかこの歌変じゃないか?取り返しの歌なのに「魂呼びするな」って・・・
成程、分かりました。有難うございます。私は多分、そんな事を言ったと思います。
日の暮れた神社を後にする直前、老人は最初の時と変わらない笑顔で、私に言いました。
なあ、また爺さんの話し相手になってくれや。
はい、またいつか、こちらに来たら会いに行きます。
それから私は、あの老人とは一度も会っていません。
さて、これが、私が知っているSCP-???-JPについての話です。
これを皆さんがどう読むのかは分かりませんし、私としては出来れば知りたくないというのが本音です。
では、なぜこのような文章を書くに至ったのか。それが気になった方がいらっしゃるかもしれませんね。
それは、実はこの事を経験した数年後。つまり今。この話についての、ちょっとした進展があったからです。もしかしたら、まるで進展とは言えないものかもしれませんが。
ひょんなことから、私は九州地方についての民間信仰や民話、つまりは民俗学をちゃんと勉強させて頂く機会を得ることになりました。となるとやはり、この体験の事が頭を過ります。そこで、私はもう一度、あれらの事に関して調べ直してみることにしました。
それは主に、けりよという言葉についてでした。あの説明を聞いた時に感じた違和感のようなものがどうしても拭えず、数々の民俗語彙辞典や民俗学誌を漁りました。しかし何処にも、けりよという言葉は見つかりません。帰依は仏教用語だからと宗教用語辞典も繰りましたが、そちらも同様でした。
そして其処に至って私は違和感の正体に気付きました。
神道の伝承者である筈の神主が、どうして仏教用語を用いた儀式をしていたのでしょうか。
私は、とある大学で宗教学の非常勤講師をしている方に連絡を取り、私が経験したことについて意見を仰ごうと考えました。意見自体は様々に出して頂けたのですが、しかしそれによって何かの疑問が氷解されるということは無く、結果という結果には乏しかったというのが正直な所でした。
彼の言ったこの言葉が、今も私の頭の中にぐるぐると残っています。
「取返歌だっけ。そもそも神道の考え方に、その儀式はそぐわないよ。そもそも日本の霊魂観では、幽霊や怨霊っていうのはホラー映画みたいにただ怖がって忌避するものじゃない。畏敬して、遠ざけるものじゃん。ましてやそんな御霊をわざわざ此岸から、それも神主が呼び出すなんて、有り得ないよ。それ、本当に神社の人?」
このあと私は、あの場所をもう一度訪ねることにしました。訪ねるといってもあの老人ともう一度話す気は流石に起こりませんでしたので、せめて神社を遠巻きに見るだけでもと思ったのです。一度行ったところですので、流石に忘れていません。しかし。
何度調べても、そこには神社など在りませんでした。
以前其処にそういった施設があったという事も、全く無いそうです。
これが、先ほど言った「進展」の、一つです。本当はここで筆を置く予定だったのですが、実はつい数日前に、もう一つ大きな進展がありました。
先述のように、依然行った筈の住所には、神社もそしてあの老人もありませんでした。しかし。
その住所から私の家に、大きな封筒が送られてきたのです。
かなり悩んだ末に、私はその封筒を開けることにしました。
中には。
一本の、ビデオテープが入っていました。
ゾワッとした!!なぜビデオテープが・・・!?調べていることを「山神」に気づかれた・・・?
以上が、「私が以前に聞いた禁忌のうちのひとつ或いは複数を、出来る限り希釈して描写したもの」です。これで終わりです。ここまで読了して頂いた方、本当にありがとうございました。
何度も申し上げている通り、ここまでの話には幾つもの虚構が混ざっています。その虚構は程度も規模も大小様々ですので、あまり考えすぎないことをお勧めいたします。
しかし、ここまで読んで頂いた方々に対する感謝の気持ちに替えて、その中でも特に大きな虚構の一部を、これから皆さんに示したいと思います。これは、この文章だけでない他の部分にも関わる嘘ですので、もしも万が一私が語ったこれらの事について自分でも考えてみたいという方がいらっしゃった場合には、教えておいた方が良いかと思った為です。
以下はこの文章の本筋とは違ったものになりますので、特に気にならないという方はここで閲覧を終了して頂いて一向に構いません。
もしこのまま閲覧を継続するつもりの方には、以下に三つほど私から注意点を書かせて頂きます。
一つ目は、この文章の元となった話は紛れも無く、一番最初に書いたような「語ってはいけない類の怪談」であるという事です。そんなことが無いように細心の注意を払って書いてはいますが、もしあなたが考察の末に何かを感じ取ってしまった場合には、何度も書いていますが、それ以上の詮索は御遠慮下さい。
二つ目は、私が今から示すのは私がついていた嘘の「一部分」である、という事です。まず「○○と書いていましたがそれは嘘で、本当は××です」といった丁寧な文章ではありません。
そういったものを期待されている場合には、その御期待には沿えない可能性が高いです。
三つ目は、今から示す情報は少なくともこれまでの文章の本筋とは全く関係ないものである、という事です。閲覧は本当に自己責任であり、見ても見なくても今までの文章の根幹が変わる事はありません。
以上の三点を理解された上で閲覧を希望される方は、このまま閲覧を続けてください。
死ね
謎がさらに加速される・・・?【けりよ】を調べた男の物語!!このTale しんには【けりよ】の真相に近づくための重要な情報です!ただそれでも解読は難しい・・・そしてこの記事はすでに「山神」の干渉を受けて呪われているのではないのでしょうか・・・?下記にて自分なりの考察を書こうと思います。
著者 [Pear_QU] 原作記事しんに – SCP財団 (wikidot.com)
考察
読めば読むほど謎が深まるSCP 【けりよ】とそのTale【しんに】少しでもこの記事の内容の真相に近づければと思い、考察を落としたいと思います。
ストーリー
まずは【けりよ】の世界から考えてみましょう。【けりよ】は主にビデオテープの内容について書かれています。
その内容は行方不明になっている親子の映像や不吉な画像の数々。
この時点でこのビデオテープは何を取っているのかと思われますが、おそらく「山神」の記憶または記録ではないでしょうか。
まず縁起の悪い複数の画像は全て死者に関連してます。つまりこの世界は死者(黄泉?)の世界ではないのでしょうか。皮田親子は「山神」に呪われてか喰われてかして亡者になっていると思われます。
そのため、【しんに】で皮田シズは髪を剃った神主に「来るな」と言った。
肝心の「山神」が言及されていませんが「皮田結名」が「山神」に成った。または依代になったのでは?
ではなぜそのようになったのか・・・それは皮田シズ(母親)が村から「山神」の生贄にされたから。皮田シズは【しんに】に出ている髪を剃った神主と夫婦関係だったと思われます。この時に皮田結名とは違う子供をお腹に宿していた。
ですが差別されていた皮田シズは生贄にされるために別の男(記録511-JP_3の画像で横になっている男性)と再婚させられたと思います。
そして、皮田シズのお腹にいた神主との子供をその男が無理やり流産させることで水子地蔵を穢し、死亡した水子(流産した赤ちゃん)が賽の河原で泣く声を聞いた「山神」は誘き寄せられた。(記録511-JP_7の内容より)
その後に生まれたのが皮田結名である。
これは記録511-JP_6で皮田シズが皮田結名をお姉ちゃんと呼んでいた理由に繋がる。
これによって実際に村が目標にしていた「山神」をビデオテープに封印することができたのだと思います。
うしろ、もう
私の考察ではビデオテープの世界は黄泉の国ですが、それだと記録511-JP_6に違和感を感じます。
【けりよ】でかなり怖いシーン皮田結名が皮田シズの後ろに見たものとは何か。
ですがこれだとまだ親子は生きており、今まさに「山神」に襲われる。そのように受け取れます。
私も最初はそこまで「山神」が来ていると思い、ゾッとしましたがこれは「山神」では無いと思います。
もうすでに黄泉の国にいる2人を「山神」が襲う理由がありません。
皮田シズの後ろにいるのは【しんに】に登場している髪を剃った神主だと思います。
神主は村につれ攫われた妻(皮田シズ)と会うために取返ノ歌で1度会ってます。
その時は皮田シズに「来るな」と言われましたが。
記録511-JP_6で皮田シズは「早くしないと来ちゃうかもしれない」と言ってますがこれは早く「山神」を封印しないと神主が来てしまうということでは無いでしょうか
それでも神主は「山神」に呪われることで黄泉の国に行ったのでしょう。亡き妻に会うために。
取返ノ歌
”あんな身内を魂呼びするな、けりよけりよのつんぼ神”
結局取返ノ歌とはなんだったのか。それは「けりよ」の意味を理解しないといけません。
【しんに】では「けりよ」は「帰依」の意味とされていましたが、私は違うと思います。
と言うのも【しんに】の中にはいくつものフェイクが混じっています。
まずこの歌は魂呼びの儀式とされていますがこれは蘇生を目的としています。
ですがこれは中国由来の考え方で仏教や神道の考え方ではありません。
しかも「あんな身内を魂呼びするな」と言ってますし、魂呼びの儀式とは思えません。
ではこれはなんの儀式なのか。
これは「神」を遠ざける儀式だと思います。
これに伴い「けりよ」が「帰依」(呼び寄せる)ではなく「帰れ」では無いかと思います。
”あんな身内を魂呼びするな、帰れ帰れのつんぼ神”
これなら神道の考え方にも合っています!
だがこの儀式を行った神主は「山神」に呪われ消えてしまった。(黄泉の国の皮田シズのところへ)
それはなぜか、それは鳥居が関係しています。
【けりよ】から登場していた不気味な鳥居、そこには髪で作られた注連縄(神域を外界から隔てる結界の役割)と逆さに吊るされる紙垂(邪悪な物を払う力がある)があります。
逆さに吊るされた紙垂は邪悪な物を払う力とは逆、邪悪な物を呼び寄せる力となります。
これによって取返ノ歌は「神」を払う儀式ではなく、「神」を呼び寄せる儀式となり「山神」を呼び寄せたのでは無いでしょうか。
終わり
今回は恐ろしい日本のホラー作品【けりよ】【しんに】について紹介しました。
かなり難しい内容なので記事を読む人によって解釈が変わってくると思います。
でも難しいからこそこの話の真実に辿り着かないのかもしれません。
真実に近づくとビデオテープが送られてくるかも・・・?
原作記事が気になったらぜひ読んでみてください!!
この記事はCC BY-SA 3.0ライセンスに基づきます。
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